巨木を訪ねるライド(第29回)〜八王子神社御旅所の楠〜 [巨木を訪ねるライド]
巨木を訪ねるライドは2015年1月に開始して早くも丸二年となりました。
第1回は大阪府NO1の巨木、三島神社の薫蓋樟からスタートしたわけですが、2017年走り初めはやはり巨木シリーズ、大阪市NO1の巨木を訪ねることにしました。
因みに巨木シリーズも今回で第29回を迎え、散々見てきたなと思ってますが、最近めっきりご無沙汰、でもまだやってるのよ終着駅シリーズは32回だから終着駅も散々行ってるのね。
てなわけで1月4日9時半メーテル発進です。
昨年末同様に第二京阪から。
要するに年末はルート変更しましたが元々計画してたのが今回の巨木です。
途中から寝屋川沿いを走行。
今年の正月は穏やかな天候が続きました。
この日も左程寒くありません。というより市街地走ってると汗ばむくらいです。
一旦、道を間違えてゴチャゴチャ走りましたが・・・・
再び寝屋川沿いへ。
上空には飛行機が飛んでおります。
さて鴫野あたりから今里通りを南下します。
そうすると今回の巨木も近づいてきます。
もうそろそろかな?とコンビ二ピットインして地図を確かめるとまさに直線距離100mといった位置にいました。
少し住宅街にはいったところで前方に巨木が見えました。
毎回、この瞬間が『ぬおーー!見つけた!』と、たまらなくテンションあがります。
それは更に細い道に入ったところにありました。
今回の巨木は八王子神社御旅所にあります。
八王子神社御旅所はかつて八劒神社が在り当時の東成郡西今里村の氏神様でした。
明治42年11月に東成区中本の八王子神社へ合祀され現在は御旅所となっている。
社があったのでまずはお参り。
・・・で今回の巨木です。
大阪市NO1の巨木は高さ25m幹周が11m樹齢は何と1300年と流石のプロフィールです。
それではまいります。
どーーーーーーーーーーーん!!どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!
どおや!!この幹周り!!!わからへんか!?どーーーーーーーーん!汗
ところどころ剪定されてますが、それでも大迫力の巨木です。
三島神社の薫蓋樟もそうですがこんな街中によくここまで育ったなと感心させられます。
案内板には大阪夏の陣では兵火にも遭ったと記されたます。
おそらくこのあたりは先の大戦でも空襲を受けた地域でしょう。
あ。ちょっと話反れますが、僕先日からインスタグラムっちゅうの?ヘコッと始めてみました。
これはインスタグラムの写真。色々加工出来て面白そうです。
ちょっとでも巨木の迫力が伝わったらなあと思い。。
因みにこれが元々の写真。あんまり変わらん?まあええがな。
大阪市NO1の巨木は伊達ではありませんでした。
この地は楠神社とも称され明治18年6月の淀川大洪水ではこの地の住民四十数名がこの楠の大枝に3日間避難してかろうじて生命が助かったと語り伝えられているそうです。
まさに守り神ですね。
場所は地下鉄今里駅から程近いので機会があれば是非に。
てなわけでリスタートします。
近所の人気ラーメン屋でランチを考えてましたが生憎まだオープンしていませんでした。
・・でウロチョロしてると旧街道を発見。
暗越か・・・。
よし!!!!新年の景気付けや!!旧街道から久しぶりに上ってやるか暗峠!!!
・・・と思い、旧街道を走り始めるもスグに道が分からなくなり中止。
この潔さが素敵だ。。
ホンマに行くと思った?でも行くつもりだったのよ。行かへんかったけど。
ランチ場所を探しながら走るも結局ご近所まで帰ってきた。
地元にも金を落とさなきゃと久々に奇跡の味に行って見るも諸事情で1月中旬まで臨時休業らしい。
てなわけで結局そのまま帰宅は12時半。
お家でカップラーメン食べました。
午後からは長男がお年玉で買い物したいというので今度はママチャリで発進。
見事ゲット。
そりゃそうやな。お年玉でオモチャ買うのが正月の楽しみやもんな。。
尚、ショッピングモールは大勢の人で賑わっておりとても疲れました。
家で寝とけっちゅうねん。
途中から奥様も合流して三人で帰る。
ママチャリでこの坂上るけど一応自転車乗りの名をかけて意地で駆け上がりましたが、また右膝をやってしまいました。
坂の上からの景色はインスタグラムで。
中々ええ絵やな。
てなわけで終了です。
<今日の記録>
走行距離 : 47.5キロ
(別でママチャリ15キロくらい。こっちのほうがしんどかった。。)
累計走行距離 : 30281キロ
巨木を訪ねるライド(第28回)〜鶯関神社の鶯白龍大神~ [巨木を訪ねるライド]
2016年 大晦日
昨日はほぼ丸一日ゴロゴロしてましたが今日は朝からお家のお掃除等。
時間が出来たら走り納めする予定にしてました。
…で13時過ぎ。
やはり今年の走り納めは巨木でなければならんであろう。予定していた巨木に向けて出発しようとした時でした。
長男が1人、サンタに貰ったプレゼントで健気に遊んでおる。
後ろ髪ひかれる思いになりました。
『お父さんと一緒に走るか?』
てなわけで2016年の走り納めは長男と一緒に。尚、最初予定してた巨木はやや遠いので変更。第二京阪を南下します。
デッカいショッピングモールを通過したあたりで街中へ。んん!デッカイ木が見えた。あれやな・・。
てなわけで到着しました。
今年最後の巨木は寝屋川市堀溝は鶯関神社の御神木です。
鶯関神社(おおかんじんじゃ)。
堀溝の里には奈良街道が通り沢山の旅人や商人が行き交う要衝として関所が設けられていた。
そしてここは鶯(うぐいす)の名所として『鶯の関』と人々から親しまれ、現在の鶯関神社として鎮座されているのだそうな。
まずはお参り。
こうして見ると長男も背が伸びてきたな。
さ。境内には案内板がありましたので長男にも説明します。
樹齢数百年の巨木が何本もありますが今回のメインは指定番号48番のクス。
樹齢500年とあります。
では、まいります。
どーーーーーーーーーーーーーーん!!!
どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんんん!!!!汗
今回の巨木は鶯関神社の鶯白龍大神です。
うーーん。やはり最後まで写真では伝わりきらない巨木たち。でもホントに立派な木なのよ。
案内板には樹高19.53m。幹周5.46mとありますが、もっと大きく見えます。
そういえば帰宅して神社のこと調べてたらココの巫女様のブログを見つけました。
巫女様もこの御神木を紹介しておられ、そこには樹齢700年とありました。
だから樹齢は700年に訂正します。
巨木マニアの僕としてはこの迫力と雄大さにいつも心を奪われる。
これからもココでずっと元気に時代を見守り続けて頂きたい・・・。
長男も大変ご満悦の様子でしたが、その後は隣にあった公園に夢中でした汗
ん。ま。良いだろう。
一応キメポーズは決めてくれてリスタートします。
帰りもノンビリと。
やっぱり公園が好きなんやね。
走ってる先々で公園に寄り道していきます。
今年最後の上り納めは第二京阪のこの坂。
長男と競争しましたが危うく負けるとこやった。もう来年はダメかもわからんね汗
寝屋川公園でも小休憩。今日は日中暖かかったですね。
帰りにご近所の神社に寄って今年一年の御礼参り。
また数時間後にはお願いへ参ります。
帰宅は16時過ぎ。
今年もメーテルは僕を乗せてよく走ってくれたねえ。。
いやそんな走ってないか今年は。。汗
もう距離計算するのもしたくないわ。
来年はもう少し乗ってあげないとね。
<今日の記録>
走行距離 : 16.4キロ
累計走行距離 : 30233キロ
はい。てなわけで当ブログも書き納めです。
本年も殆どが酔っ払い記事、たまに自転車記事、でもカテゴリーは『スポーツ』なの。ええ加減なブログにお付き合い下さり有り難う御座いました。
来年もマイペースに更新していくと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様良いお年をお迎えください。
巨木を訪ねるライド(第27回)~春日神社の社叢と八坂神社の楠大明神~ [巨木を訪ねるライド]
12月18日 日曜日
前週のライドでどうやら右膝を痛めてしまい今回は様子見ライド。
パシャさんお誘いすると午前中しばりならオッケーそう。
関西医大10時40分集合。
近くに巨木がないか調べたところ寝屋川市に感じのいいところを見つけました。
尚、午前中しばりといっておきながら相変わらず時間になっても来やしない友。
ま。ちょうどルートはすれ違うことになるのでスタートします。
程なく友と合流。
最近カメラの調子が悪く、このように角が黒くなってしまいます。
右に座ってる黒いクマのようなのは友です。
さ。CRを南下して少ししたら街中へ。何せ近い。
今回は2箇所巡ります。まずはニコパチの交差点近くにあります。
ニコパチの交差点と言っても分からないと思いますが地元の人なら『あー!あのへんか!』と分かるはず。
僕のお家からどうだろ?5~6kくらい?もっと近いかも・・汗
到着しました。
寝屋川市国松町にある春日神社です。
まずはお参り。
往古より茲に松の大樹があり、近郷に比類、稀なる大樹にして国中に二無名木となり人々、遂に国松と賛称すとあります。
なるほどなるほど。しかしその松は見当たりません。
・・・であとは読んで。
尚、この春日神社には様々な巨木がありました。
まずはクスの木。
樹齢数百年と書いてありました。えらいアバウトですが立派な木であることは間違いありません。
いつものように幹に手をかざす友。。
続いてコチラ。
あべまき。やはり樹齢数百年となっています。
・・でこれが中々ユニークでした。
相思相愛の木。
2本の木はいずれも樹齢100年以上で、黒色でごつごつした男性的なアベマキと色白でスラリとした女性的なクロガネモチがお互い吸い付くようにくっついている。
この珍しいハッピーな現象のパワーにあやかりたいと多くのカップルが参拝に訪ねるのだそうな。
僕は友と来ましたけど・・。
あらやだ・・汗 なるほど。なるほど。
その相思相愛の木の前で何故か立ち尽くす友。。
何を想うのか友よ。。
大丈夫だ。未来は自分の手で切り開いていくものだ。
きっと輝かしい未来が待ってるよ。
さ。そしてここのメインとなります。
春日神社のシイの社叢。
社叢とは神社の森のこと。
友には興味を持ってもらう為、事前に『今日は神の森へ案内する』と伝えていました。
境内にはシイが群生していますが、人里近くにシイの巨木が群生することは大変珍しいらしく大阪府の指定文化財になっており『寝屋川八景』にも制定されています。
その中でももっとも大きな木がコチラ。
ここは明確に樹齢600年と書いてありました。
幹が大きく張り出しており中々の迫力です。
再び手をかざす友。
何かこの絵だとそんな大きな木には見えないな?
気にするな友よ。
オマエが悪いわけじゃない。
上手く行かない時もあるさ。
それが人生だ。
ゆっくりで良い。しっかりと歩んでいけば良いんだよ。
さ。リスタートします。
次なる目的地は八坂神社。
京阪寝屋川市駅から程近くにあるようだ。
友が道行くオバサンに『八坂神社どこっすかーー?』と聞いてくれたのでスグに辿り着くことが出来ました。
到着してスグに空を見上げる友。。
実は上から木の実が落ちてきてヘルメットに直撃した直後だからです。
やっぱりヘルメットは大事だな友よ。
ま。小豆みたいな実だからヘルメットなくても殆ど影響ないと思うけど。
てなわけでお参り。
そしてココの巨木がコチラです。
ドーーーーーーーン!!!!!
高さ15m。幹周7m。
樹齢は650年以上と推定されますが一千年を超えるという説もあります。と書いてある。
アバウトだ。。
しかし古い掲示板の方には最初から『千年楠について』と記載されている。
もうこれは樹齢1000年で良かろう。
千年楠に手を合わせる友。。。
心が洗われる瞬間。。
尚、こちらには他にも沢山の楠が育っていますよ。
稲荷大明神にも参拝する友です。
尚、『小銭が無いっす!!』と賽銭は僕から搾取したものです。
果たしてそれでご利益があるのかは疑問だが友よ。。
祈りを捧げることは素晴らしい。
大切なのは・・・・
もうええわ。飯。
近所にウドンの人気店があるらしく狙っていたのですが行ってみると生憎休業中とな。
『ほんだらもうココにしようぜ?』と近所にあった小汚い中華にボコッ。
こういう所にこそ絶品はあると信じている。
尚、小汚さレベルはそれなりで苦手な人はおそらく寄りつきもしないのであろう。。
・・・でオーダーしたのはヤキメシセット。650円やったかな?
左上にカラシの乗った小皿が置かれた。
餃子が付いてくるのかな?と思ったらマスターは『このタレを注いで唐揚げに使ってください。酸味のあるタレです。』とのこと。
そのタレはどう見ても餃子のタレであった。。
でも試してみると悪いもんでもなかったな友よ。
それにしても殆ど走って無い中、結構なボリュームで難儀したよな友よ。。
リスタートして再びCRへ。
ここで友とお別れ。
背中が少し寂しげな友よ。。
そんなに落ち込むなよ。
またスグに会えるさ。
帰りに寝屋川公園で来年の年賀状用にと撮った1枚。
しかし我が家にはプリンター等なく、いつも手書きで書いてるのでココに貼り付けておく。
その後、コンビ二休憩しながらスマホの写真整理を懸命に行っていたら、何やら強い視線を感じる。
何だ?と見てみたらドクタースランプアラレちゃんみたいな女性が満面の笑みで僕を見ている。
『ロードバイク乗ってるんですね!』と話しかけてきたアラレちゃんは最近ロードバイクを始めたそうで色々質問攻めしてきた。
何年くらい乗ってるか?とか今までどれくらいの距離を走った?とか。
・・・で『今日は何処まで走ったんですか?』と質問が来た。
思わず『えーっと・・・。花背峠です汗』と答えてしまった私・・・汗
何でそんな嘘つくのかなーーーーー泣
友よ!!!!許せ!!!!!泣
俺はオマエと2人でニコパチの交差点近くにある相思相愛の木を見に行ってたとは言えなかったんだ!泣
アアアアーーーーーーーーー・・・・・泣
<今日の記録>
走行距離 : 33.7キロ
累計走行距離 : 30169キロ
巨木を訪ねるライド(第26回)~清水家のカヤ~ [巨木を訪ねるライド]
12月11日 日曜日
この日はチームで行く巨木シリーズ。
もう今年は本当に距離を乗っておらず最近に至っては30キロ弱を走る程度となっていた。
しかし今回のコースはかるく100キロを超える。実は左腕の筋も完治しない状態で不安を抱きながらも関西医大7時集合。
大丈夫!!かつては1日500キロも走ったんだ。100キロくらい屁みたいなもんだ!!
・・と自分を奮い立たせながら。。
そして続々とメンバーが集結してきました。
今回のメンバーはKurubiさんtrekyさんROADYASAIさんパシャさんリンクスさんグッチさん。
それにゲストにご存知しばさん。そしてshadaloobu-bu-さん(長いので以下bu-bu-さん)が初参加頂きました。
宜しくです!
因みにbu-bu-さん、ごっついエアロバイク乗ってて平地は相当の速さで走るらしい。
てなわけで時速30キロ以上出したら罰金制度宣告してスタートしました。
まずはCRを北上。
最初は30キロ超の巡航だったけど徐に速度が上がってきた。。
僕は何せ今回は完走することが目標なので無理をせず・・。
すると見る見るうちに皆の姿は見えなくなりました。後日罰金集金させていただきます。
御幸橋でROADYASAIさんが離脱。また一緒に走りましょうね。
ここから第一休憩ポイントの山城大橋まで向かいますが依然トレインは高速化。
『おーい!ゆっくり行くぞー!』とパシャさん捕まえて僕はマッタリと。
ま。他メンバーはゲストを接待してくれてるのです。僕だとやろうと思っても出来ないからね汗
さ。山城大橋のコンビ二で一旦休憩しますが、この日のコースはココから大正池を上る。ひさしぶりやわー。
尚、遅れを取ること間違いないので。僕はそそくさとお先にリスタートすることにしました。
久々の大正池はスタート時点ついた時点で既にヘロヘロ。
とにかくマイペースを心掛けて淡々と登坂開始。
大正池は左程斜度がないのでサイクリングには最適。
・・・のはずだが、ここんとこ全く上ってないのでそれなりにキツイ。
そうこうしてるうちにメンバーがビューンと追いついてきてたちまち最後尾になりました。。
その後も淡々と上ってるのですが、このあたりから早くもお尻に痛みが来た。
両腕もおかしい。
おそらく左腕をかばって右腕が痛み、その結果、所謂ママチャリ乗りになっているのであろう。
鍛えてないこともあってお尻がみるみるうちに痛みが増してきた。
まだ50キロも走ってないんだけど汗
ここでリタイアするわけにもいかずダンシングでごまかしながら引き続き上っていく。
途中で上り終えたtrekyさんがお迎えに来てくれました。ありがとう泣
最後の急坂もお尻の痛みに耐えながら。なんとか上りきりました。
久々にみる大正池からの絶景。
この日は富士山を登頂したかの如く心境でしたよ泣
さ。裏大正池は慎重に下って和束のコンビ二で全員と合流。
この日も自転車乗りいっぱいいました。
因みにこの日は非常に寒く、気温はおそらくこのへんだと2~3℃くらいだったのではなかろうか。
よくもまあ、こんな日まで自転車乗ってるもんだ。ワケ分からないわよ。
さ。ここで、しばさんが離脱。
また一緒に走りましょう。ていうか殆ど一緒に走ってないけど。大正池でパスされて見えなくなるまでの7秒くらい?
今度は私が本物のポタリングというものを教えてやる。間違いなく置いて行かれるやろけど。
さてこの後は5号線を信楽まで上ります。
ま。斜度は穏やかですが距離は20キロくらいある汗
大丈夫や!!ここなんか今まで何回走ってると思うてるねん!!絶好のポタリングコースやんけ!!
てなわけでパシャさん捕まえて、メンバーには『最低20分は休憩するように!』と指示してお先にスタートします。
ユルユルスタートしましたが、やっぱりお尻が痛い。
パシャさんが前をゆっくり牽いてくれてますが、それでも千切れそうになる。
このままでは置いて行かれるので後ろから『あーーーー!!!』と叫びます。
パシャさん 『何すか!!??』
僕 『いや。何でもない。』
パシャさんの良いところは必ず何か反応してくれて、その度に速度が落ちることである。
また行くとやっぱり千切れてきたので今度は『ストップーーーーーー!!!!』と叫びます。
パシャさん 『どうしたんすか!!??』
僕 『ちょっと写真撮るわ。』
パシャさん 『いちいち大声出さんで欲しいっす!』
・・・と言いつつもポーズをとってくれるパシャさん。優しいでしょ?
暫くしてお尻がどうにもならなくなってきたので再び『ストップーーーーーーーーーー!!!!』
僕 『この木見てみい!!!』
今日の巨木はカヤの木なんですが、これもカヤの古木です。
パシャさん 『この木は前にも説明してくれたっすよ?』←余計なこと覚えてるな。
その後も『ミホミュージアム』の看板が見えたから『ミホーーーーー!!!ミホーーーーー!!!』と叫んでみたり、
パシャさんから『誰なんすか!!??』と突っ込まれても千切らせないように叫び続ける。
そうこうしてるうちに高速トレインがバーン!とやってきて走り去っていった。
僕 『なんやアレは?挨拶もしやがらないで感じ悪い奴らやな。』
パシャさん 『アレ、うちのチームっすよ?汗』
僕 『わかっとるわい!!』
・・・で、何とか滋賀県入りして信楽に到着。
bu-bu-さんはここで離脱。また一緒に走りましょう。←だから全然一緒に走ってないて汗
私と勝負したいのなら、まずうちのメンバーを全員やっつけてからだ。ぬはははははは!!!
はい。次。
お持ちかねのランチです。
最近チームのなかでは御用達らしい一見廃墟かコレは?てな感じの信楽にある台湾料理屋さんです。
店内も夜だと見えないだろうな?と本気で思う暗さをしてます。
でも店のお姉さんは明るいのよ。
オーダーしたのはランチセット。
んん!!この手の店らしい満足なボリューム。消費したカロリーも一気に清算できます。
台湾ラーメンはラー油がバサッと投入されておりビリビリくる。
中国のラーメンはお湯にラー油投入してるだけだからダメよアレは。
・・で何故か別途単品オーダーしてしまった唐揚げは過去最大級の大きさで1つだけ食べるのも困難なので全員でシェアして僕の食べ残しはグッチさんに差し上げようとしたけど丁重に断られました。
でもこの唐揚げは美味しいよ。
・・で食後の珈琲は何故かシャア専用カップで。
よく分からないがメンバーのテンションは一気にヒートアップしてました。
てなわけでリスタート。
307号線を折り返して422号線へ。このあたりは下り基調で走りやすい。
メンバーは遥か彼方です。
途中で折り返して猿丸神社への上り。久々やなココ来るの。
ええ坂で汗ダクになって目が開けられなくなったので途中で上着を脱ぎ捨てました。
冬でもポカポカ。やっぱり冬は大阪ガスの床暖房だね♪
やかましわい!! ワケわからんわ!!汗
はい。てなわけで京都府の県境を過ぎ、峠を越えて下り、村の急坂をクネクネと上ったところに本日の巨木がありました。
ドーーーーーン!!!
おお。中々ええ樹形をしとる。
今回の巨木は京都・宇治田原町にある清水家のカヤです。
個人宅の巨木訪問は枚方田中邸のムク以来2本目です。
あの巨木も見事でしたが、今回の巨木も立派です。
雄雌の株が立ち並ぶ樹齢400年と言われるカヤは宇治田原町の指定文化財となっています。
カヤの木もこれまで何本か見てきましたが、この小さな葉が特徴的。
カヤは雄雌異株で、幹は直立し樹高は20m、幹周は3mほどに。樹形は幅の広い円錐形になる。
成長は極めて遅いが寿命は長い。
因みに日本最大のカヤは、福島県桑折町にある万正寺の大カヤで樹高16.5m、幹周8.7m樹齢900年だそうな。
それと比較してもこのカヤが如何に立派な巨木であるか分かりますね。分からんか?
ま。でも立派な巨木でしたよ。
さてリスタートします。
巨木の後はスイーツ休憩。
巨木からスグ傍の307号線沿いにお店がありました。
オーダーしたのは抹茶パフェ。んん!美味しい。あとメチャクチャ寒かったのでお店の暖かさが身にしみました泣
その後は再びCRをぐるっと回って帰路に。
最後は全身バキバキでしたが何とか関西医大まで。
いや、何とか走りきれたけど甘くないです。
予想以上に走れなくなっていて、もう少し鍛えなさなければと思う今日この頃。
帰宅は17時前。熱いシャワー浴びて即寝でした。
でも久々に皆と走れたのはやっぱり楽しかった。また行きましょう!!
清水家のカヤにて。
<今日の記録>
走行距離 : 137キロ
累計走行距離 : 30135キロ
巨木を訪ねるライド(第25回)〜難宗寺のイチョウ〜 [巨木を訪ねるライド]
11月13日 日曜日
街路樹が色付いております。
この日は奥様からお留守番指令が発令されたので長男とお家でゴロゴロ。
14時過ぎ指令解除されたのでちょこっと走ります。
おそらくイチョウが今、紅葉の良い時期を迎えてるであろう。
近所にイチョウの巨木がないか検索したところ守口市にあった。
そんなわけで15時前メーテル発進。
第二京阪や1号線を走るのはそっけないので寝屋川市駅方面へ向けて京阪電車沿いの知らない道を走ります。
途中、川沿いの歩行者自転車専用道路を見つけたので『そりゃ良いね』とそっちへ進む。
そうすると萱島駅前に出てきた。
以前の巨木シリーズでご紹介した駅の屋根を突き抜ける巨木がこの日も元気そうに屋根の上から顔を覗かせてました。
ここから更に徹底して知らない道を進むためワザと細い道をすり抜けて行きます。
巡航速度は10~15Kと言ったところ。
自転車はこういう走り方するとこれはこれでまた面白いのです。
・・・で細い道をチンタラ走ってると突如目の前に巨木が現れました。
本日の目的地ではありませんが『神社でもあるのかな?』と寄り道していきます。
んん?
史跡『茨田堤』となってます。
案内板がありました。
ここは堤防跡が残存し堤根神社が鎮座することから『茨田堤』と推定され大阪府の史跡に指定されているのだとか。
茨田堤は『古事記』や『日本書記』に記述があり、記録に残る我が国最古の堤防として知られている。
淀川からの洪水を防ぐために難工事の末、堤防を完成させたとあります。
『ええ!!そうなんや!!』と1人感動してしまいました。
尚、思いっきり適当にクネクネ走ってたのでもう1回行けと言われても自信ありません。。
リスタート後も適当に走ります。
また大きな楠の木。
門真市と思いますがこのあたりは大阪府最大の巨木『薫蓋樟』をはじめ、このレベルの楠が結構残ってるように思います。
・・でここは古い石畳の遊歩道のようになってました。
ロードバイクで走ると振動がキツ過ぎてメチャクチャ走りにくいのですが何でこんなとこに遊歩道があるのだろう。
そして右に『弥治右衛門樋跡』という石碑がありました。
気になったので帰宅してから調べてみました。
江戸時代初期、この地域一帯は低地で水はけが悪く特に藤田村は毎年水害に苦しんでいた。
解決するには下流に樋を設けることが必要であり弥治右衛門は何度も代官所に願い出たが費用がないと作ることの許可さえ出なかった。
弥治右衛門は意を決し、自費で資材を用意して自らの責任で幕府の許可なしに樋を作った。
処刑は免れないと覚悟の上であったそうな。
幕府は樋の存続は認めたものの弥治右衛門一家4人は慶安2年3月22日、当地で処刑され財産などは没収されたという。
この近くには弥治右衛門を偲び記念碑も建てられているのだそうです。
こんな歴史があるとは知らず通り過ぎましたが、こうして走っていると色々勉強になります。
さ。大日のあたりに出たので少しだけ1号線を走り本日の目的地近くまで向かいます。
地下鉄谷町線の守口駅あたりで再び町へ入ります。京街道がありました。
ここにも案内板があり、文禄堤となってました。
豊臣秀吉が命じて作らせた淀川左岸の堤防だそうです。
当時と今を比較した地図もあったので暫し眺めてました。
・・・で地図にもあったのでココからスグの目的地へ細い路地を抜けました。
町の中に立派なお寺が現れました。
難宗寺です。
文明7年(1475年)年、吉崎を退出し、枚方市出口に光善寺を創立した蓮如上人が文明9年(1477年)に守口坊として建立したのが始まりと言われ慶長16年(1611年)本願寺掛所となり、西御坊と呼ばれるようになったそうな。
もう後は読んで。
立派な本堂です。
平面は完全に左右対称で典型的な真宗寺院本堂の形式がとられてます。
現在の本堂は文化4年(1807年)に再建されたものだそうです。
明治大帝聖跡となっています。
鳥羽伏見で敗れた幕府軍は守口を守る街道を大阪城に敗走。
それを追う形で天皇の大阪親征があり、この難宗寺に入ったのだそうです。
はい!!そして!!!今回はメインまで長かった!!!
ドーーーーーーン!!!!自転車邪魔や!!
ドーーーーーーーーン!!!!
ドーーーーーーーーーン!!!!! まだ紅葉してなかった・・泣
今回の巨木は難宗寺のイチョウです。
幹周4.65M。
樹高25M。
樹齢約400年。
んんん!!!大迫力。
イチョウの巨木を見るのは本能寺火伏せのイチョウ以来だけど多分アレより立派よコレは。
今回で25回目を迎えた巨木シリーズですが毎回巨木の迫力には驚かされます。
我ながらホントにええシリーズだと思うよコレは。うん。うん。
因みに紅葉は多分今週あたりからではないでしょうか・・汗
もし機会があれば是非に。
電車なら谷町線守口駅が近いですよ。
さ。そんなわけで帰りは淀川CRで帰る予定にしてましたが、やっぱり距離長くなるからエエわと帰路も適当に街中を。
帰宅は17時。
約1時間40分程のライドでしたがとてもご満足でありました。
<今日の記録>
走行距離 : 27.6キロ
累計走行距離 : 29970キロ
巨木を訪ねるライド(第24回)〜弁慶駒つなぎの楠〜 [巨木を訪ねるライド]
10月2日 日曜日
はい。てなわけで超久々の自転車記事です。自転車乗ってない間に彼岸花シーズンも終わっちゃったよホントに。。
久しぶりの自転車なので今回は完全試運転モード。
そんな時は巨木ライドであろう。
巨木って調べてみるとこれが色んなとこにあるんよね。
今回は近場で足の様子を見ながらということで高槻市にある巨木を訪ねます。
写真右奥に見えてるのが関西医大。
そして枚方大橋をこうして渡るところからスタート。
ていうかココ渡ったらもう高槻市なんやけどね。あはははは・・。
淀川沿いを少し北上していきます。
実はこの目の前を新幹線の線路があるので新幹線が来るのを待ってましたが待つの苦手なので諦めました。
そしてリスタートした瞬間に新幹線は走って行きました。
おだやかな風景。
実はこの目の前を阪急電車の線路があるので阪急電車が来るのを待ってましたが待つのが苦手なので諦めました。
そしてリスタートした瞬間に阪急電車は走って行きました。
因みにその後、JRも走ってるのですがココはもう最初から待たずにスルーしました。
・・・で西国街道をまた少し北上。もうだいぶ近づいてるはずです。
歴史ある街道と新しく工事中の高速道路が何ともシュールですな。
・・・でこの辺りだろうとキョロキョロしてると一見、山のような巨木が目に入りました。
西国街道からほんの少し入ったところです。
やって来ましたのは一乗寺。
今回の巨木はここにあります。
何だかえらい殺風景な入り口だなあ?と思ってましたが別に立派な門がございましてどうやら裏口みたいなとこに来ちゃってました。
比較的新しいと思われる本殿です。
因みに『一乗寺』と名の付く寺はいくつかございますよ。ここは高槻市の一乗寺。
まずはお参り。
西国街道の風情残る町並みの程近くにある一乗寺。
創建は不明で荒廃していたが応永34年(1427年)、『鍋かむり上人』と呼ばれた日親上人が地元住民に請われ建立したそうな。
それにしても現在は綺麗に管理されていて境内はとても美しかったです。
・・でいよいよメインの巨木。
ドーーーーーーーーーン!!!!
ドーーーーーーーーーーーーン!!!!凄いだろ!!??
今回の巨木は一乗寺にある『弁慶駒つなぎの楠』であります。
幹周6.6m。樹高30m。
樹齢は約800年と言われています。
根っこがかなり特徴的。実際見るとすごい迫力ありますよ。
その根っこにはこのような穴がありますが中から何か飛び出してきたら嫌なので遠目から覗き込んでおきました。
この楠はかつて西国街道を通りかかった弁慶が馬を止めたといい『弁慶の駒つなぎ』と言われてます。
ただ案内板によると実際に弁慶と結びつける史料はないそうで、いつ頃からどのように伝承されたかは不明だそうです。
楠の大きさや幹の太さに弁慶の強く逞しいイメージを重ねたのかもしれません。。
ん!満足。
じゃ帰るで。
リスタート後もチンタラ西国街道を走行。
・・で淀川右岸。
CRは少し強度を上げようかと考えてましたが全くダメ。もう全くよ!
向かい風やし10月とは思えない暑さやったんよ。そんなもん走れるかい!フン!
帰りに枚方大橋で久しぶりにウメさんご夫婦と遭遇。
嵐山ライドされてたんだそうな。相変わらずお仕事忙しそうなのに、しっかり距離乗ってて素晴らしいわ。。
僕はその半分の距離も乗ってないんやから・・。もうヘトヘトやったけど。
てなわけで美しい田んぼを眺めながら帰宅は何時やったっけ?16時くらいやったかな?
ま。またボチボチとアゲていこう。
一乗寺。弁慶駒つなぎの楠にて。
<今日の記録>
走行距離 : 37.0キロ
累計走行距離 : 29715キロ
巨木を訪ねるライド(第23回)〜光明寺の柏槙〜 [巨木を訪ねるライド]
8月21日 日曜日
日本の夏!巨木の夏! 皆様残暑お見舞い申し上げます。
てなわけで今回も巨木ライドです。
関西医大裏ベンチ7時半集合でしたがパシャさん遅刻連絡入り7時50分集合。
ギリギリまでお家でオリンピックサッカー決勝戦見てました。
・・で全員集合。
今回のメンバーはKurubiさんパシャさんグッチさんと僕の4人です。
元々今回は来月レースを控えてるパシャさんの為に強化練習を実施することになってました。
・・が暑い!!こんな暑さで強度なんか上げられるかい!ということでほのぼのライドに変更しました。
枚方大橋を渡ってTTする予定だった淀川右岸をべチャクチャ喋りながらマッタリと北上。
元々柳谷を上る予定だったので島本町に入ったところでいつも通り右岸を離脱。
そして巨木ライドは寄り道ライド。
普段立ち寄らない場所も寄り道していきます。
まずはコチラ!!
桜井駅跡です。
駅跡と言っても鉄道の駅などではなく幹線道路に30里ごとに設けられた馬など旅に必要なものを備えてた施設のことを言います。
ここは西国街道沿いにあります。大正10年に国の史跡に指定されました。
・・・でココの有名な話がコチラ。
『太平記』の名場面、楠木正成・正行父子がこの桜井の駅で訣別します。
劣勢を強いられた正成は死を覚悟し、湊川の戦いに赴くことになりました。
この桜井の駅に差し掛かった頃、正行を呼び寄せ、自分が討ち死にした後、帝のために身命を惜しみ、忠義を失わず、一族郎党一人での生き残せるようにして、いつの日か朝敵を滅ぼせ』と言い聞かせたのです。
ご存知のように正成はその後、湊川の戦いで戦死。
正行は四条畷の戦いで戦死しました。
これはその別れの石像なのです。
四条畷神社にも同じような石像があります。
ここには多くの著名人が建立した石碑が残されてます。
この石碑の題字は陸軍大将乃木希典の書。
大正2年(1912年)7月に献碑式典が行われました。
こちらら明治天皇御製碑。
昭和6年(1931年)に建立されており、題字は東郷平八郎海軍元帥の書だそうです。
またココには巨木の一部もこうして残されてました。
これhが旗立松と言って楠木父子が訣別する際。このものとに駒を止めたと伝えられています。
明治30年(1897年)に旗立松は枯死し、一部を切り取って保存されたとありました。
てなことをメンバーに懸命に説明したのですが皆、ポケモンGOに夢中でした。。
場所はJR島本駅からスグのところにありますよ。
さ。リスタートしてまたまた寄り道。
西国街道を少し走れば水無瀬神宮があります。
ここは名水百選の離宮の水があります。
大阪府で名水百選に選ばれたのはココだけなんです。
これまで水を汲もうと何度か訪れたことがありますがいつも行列で断念してました。
今回もこの行列。
でも今回は巨木ライドは寄り道ライド。
しっかり並んで水汲みします。
少々時間を要してついに名水ゲットしました。
早速頂きました。
んん!!!冷たい。
以上です。
更に西国街道を北上して巨木ライドはマッタリライド。
予定されてた柳谷登坂も中止。だって暑いんやもん。
そのまま巨木へ向かいます。
京都長岡京市に入り、少し走って到着。
光明寺です。
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと栗生広谷にあり、法然上人が43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地なのです。
今回の巨木はこの光明寺にあります。
早速参りましょう。
まずはお参り。
御影堂は1753年に再建されたものだそうです。
左には法然上人の銅像がありますね。
・・でこの御影堂左脇にある階段を下りたところに巨木がドーーーーン!と見えました。
光明寺の柏槙(びゃくしん)です。
柏槙は茨城県のイブキ山に多く自生していることからイブキとも言われます。
滋賀県の伊吹山から来てるのかと思ってたよ。
この柏槙は樹齢400~500年。
樹高15m。幹周3.8m。根元の周囲が4.6m。
京都府下においても学術的価値が高く、昭和52年に市の天然記念物に指定されました。
恒例となりました。今回もパシャさんに並んでもらいます。
法然上人火葬跡前にあるこの巨木は享保19年(1734年)頃に描かれた『光明寺消失絵図』などから火葬跡前に献樹として植えられた1対のうちの向かって左側にあたると見られています。
応仁の乱や、山崎の合戦などで焼失を繰り返した光明寺の境内にあって歴史の重みと計り知れない生命力を感じさせるとありました。
応仁の乱も山崎の合戦も有名だけど、山崎の合戦場所からは少し離れた場所だと思うんだけどこんなところまで戦火に見舞われたんですね。何か当時の映像が想像付きません。
巨木の下は木陰で良い風が吹いていて涼しかったです。
てなわけで巨木を堪能したら帰ります。
尚、光明時は紅葉の名所として有名です。
秋はここもメチャクチャ綺麗なんでしょう。メチャクチャ混んでそうやけど。
さ。再び自転車乗りますが暑い!!!
・・のでランチにします。
こちらは何度か来てます。カレーうどんと唐揚げが美味しいよ。
早速ボコッと入店。
オーダーしたのはカレーうどんのセット。
メンバーがオーダーしたのは唐揚げセットにカレーうどんを付けたデラックスな定食。
早速実食。
んん!!相変わらず美味しいけどやっぱりボリューム満点。
グッチさん必死に食べてますが、苦しいのか『うふっ んんん』と悩ましい溜息をつきながら食べてました。
帰りの淀川右岸。
メンバーはかっ飛ばしていきましたが僕は終始マッタリと。
枚方公園まで帰ってきてコンビ二休憩。
暑過ぎて日陰から出たくありませんでした・・汗
最後のチカラを振り絞ってリスタート。
帰宅は14時頃でした。
まだまだ暑い日が続きますな。。
光明寺の柏槙にて。
<今日の記録>
走行距離 : 55.0キロ
累計走行距離 : 29644キロ
巨木を訪ねるライド(第22回)〜須賀神社跡の楠〜 [巨木を訪ねるライド]
8月16日
連休最終日を飾るのはやはり巨木ライドであるべきだろう。
特に目的地が無いから今回も適当な巨木を選んだというわけでは全くない。
関西医大裏ベンチ7時45分集合。
今回はkurubiさんパシャさんと3人で向かいます。
パシャさんは出勤前に一番乗りで駆けつけました。大変お利口さんです。
さ。今回の巨木は大阪市内にあるのでパシャさんはちょうどお家に帰る方向になります。ちゃんと考えてるやろー?
まずは淀川CRを南下します。
先日パンクした際、タイヤは寿命を迎えてたので前日新しいタイヤ買って、取り敢えずパンクした後輪だけ交換しました。
すると何ということでしょう!
これまでと同じ種類のタイヤなのに転がりが軽い!
何だよ最近走れないなあ!と思ってたけどタイヤの仕業だったんだ!
…と思ってニタニタして走ってたが、途中で原因は追い風だったことが分かりました汗
緩い追い風って気付きにくいよね…チッ
毛馬こうもんを越えて長柄橋を渡り北上します。
そうすると今回の目的地です。
小さな公園ですが、元々公園だったわけではありません。
大きな石碑が建っていました。
須賀神社跡です。
須賀神社は京の刀工、来(らい)一族が南北朝の混乱をさけて当地に来住、付近の開発に努力を重ね、そのときの鎮守として創建したという。
明治43年、中島惣社に合祀されたんだそうな。
しかしその後もこうして須賀森公園として市民の憩いの場となっている。
さ。そして今回の巨木はこの須賀神社跡(須賀森公園)にあります。
ドーーーーン!!!とパシャさんが立ちすくむ目の前に巨木はありました。
須賀神社跡の楠です。
由来がありました。
建武の頃、後醍醐天皇に逆らった足利尊氏は天皇を授ける河内国の豪族楠正成と千早赤阪城で戦った。
其の後、正成は兵庫の湊川で戦死。
正成の子、正行が兵六千騎を率いて足利尊氏軍三万余騎を四条畷において戦ったが殆どが戦死。
戦死した一族の兵を忍んで祈念の楠の苗木が成長したとあります。
樹齢は約600年。
幹回り5m。樹高30m。
これまでご紹介した中でも小楠公(楠正行)墓地の楠や、石清水八幡宮にある楠正成必勝祈願奉納の大楠など、南北朝時代、楠正成、正行に由来する楠があり、この楠もそうらしい。
こうして巨木を巡っているとこういう繋がりを知るのもまた面白いものです。
この楠もそれは見事な巨木でしたよ。
場所はJR東淀川駅から徒歩圏内にございますよ。
てなわけでリスタートして次の目的地に向かいます。
須賀神社跡から程近いはずですが住宅地の中にそれはあり、少々分かりにくい。
目の前にあったガソリンスタンドのオッサンに聞くと『もう跡形もないよ!』とのこと。
『えーー!?そうなの?以前あった場所はどこですか?』
『そこの信号を右に行ってスグ。』と左を指差してるので『右!?』と聞き直すと『あ。ごめん。左。』とのこと。
前調べで多分左方向であろうと分かっていましたが一応聞かないと間違えたら困るので。嫌な性格・・汗
間違いなく左に曲がってスグに跡形もないといってたところに現存してました。
これです。
何か分かりますか?
西淡路高射砲台跡。
1944年(昭和19年)に建てられた戦争遺構です。
コンクリート製の砲台に八八式7.5cm野戦高射砲6問及び指揮所を備えていました。
1992年に東側2基が取り壊され現在はマンションが建っています。
西端の1基は周辺に建物を増築し工場として利用されている。
2012年に西側2基が撤去され、この1基は住宅として転用されています。
つまり6基あった砲台で現在見ることを出来るのはこの1基のみ。
大阪市内で見れる唯一現存する高射砲陣地跡です。
文化財保護の観点から地元住民や市教育委員会などから保存が求められているようですが、すぐ傍まで新たな道が迫っていて、いつまで残されるのかは分かりません。
当時も街中であったであろう、こんな場所に高射砲台があったと思うとゾッとするけど、あの戦争では大阪も空襲に遭った。
当時のことを思うも想像を絶する世界だったのだろう。
ただただ平和な世の中であることを祈る。
てなわけで帰ります。
パシャさんはお仕事へ。ご苦労さんやな。
Kurubiさんは海のほうまで足を伸ばすとのことで各自解散となりました。
僕は神埼川沿いで真っ直ぐ帰路へ。もう暑い。
淀川まで来たら鳥飼大橋を渡ってCRは暑くてこれ以上走れん・・汗
街中を休憩しながら少々道間違えながら・・汗
帰宅は11時。
ここの温度計ホントに上手く写らないので35℃でした。暑い。
須賀神社跡の楠にて。
<今日の記録>
走行距離 : 51.5キロ
累計走行距離 : 29589キロ
巨木を訪ねるライド(第21回)〜奈良豆比古神社の楠〜 [巨木を訪ねるライド]
8月7日 日曜日
この日もチームで行く巨木シリーズ。
フィーバーがかかってます。
さてチームは7時半に出発したはずですが僕は用事があって遅れて合流。
9時過ぎにメーテル発進。
今回は奈良の巨木を訪ねるのでまずはトラウマ坂上りますが暑い!!!
奈良入りした頃には既にヘロヘロですが163号をひたすら東進します。
合流場所である加茂のコンビニに着いて早速身体を冷やします。
こうして書くと簡単に来てるように思えるかも知れませんが簡単じゃねーよバカ!泣
さ。そしてチームと無事合流。
今回のメンバーはkurubiさんtrekyさんパシャさん、そしてはじめましてのチェリーさんが初参加してくれました。宜しくです!
チームは既に清滝越えて大正池上っての合流。
ご苦労さんなこった汗
しかしまだ上り足らないらしくリスタートしてまずは岩船寺を上ります。
とにかく暑い。
日陰箇所で休憩しながら上りますが停車すると虫がいっぱい寄ってきます。堪忍して!泣
…で満身創痍で岩船寺に到着。
尚、この日もクソ暑い中、午前中は結構沢山の自転車乗りを見かけました。
ホントにバカじゃないの?泣
さ。暫し休憩してから、いよいよ今回の目的地に向かいます。
アップダウンを必死にこなして奈良の市街地へ下りたら、後もう少し。
…でドーンと到着。
奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ)です。
やっぱり記事にこうして書くと簡単に走ってるように思えるかも知れませんが、だから簡単じゃねーよバカ!!泣
この神社、随分歴史が古いようです。
光仁天皇の父である施基親王(春日宮天皇)が病気療養のために隠居していた平城山春日離宮の地であり、宝亀2年
(771年)、その地に施基親王を祀ったのに始まる。
20年毎の御造替は戦中も欠かさず氏子によって行われ『奈良阪の氏神さん』と呼ばれ敬愛されているんだそうな。
また毎年秋祭りの宵宮で行われる翁舞は能楽の原点と言われ重要無形民族文化財に指定されている。
さ。・・・で入り口には早くも巨木についての案内板もありました。
樹齢1000年余り。
土際の幹周約12.8m。
目通り幹周約7.5m。
樹高約30m。
プロフィールを読む限り、これまで見てきた楠でもかなり大きい部類に入ります。
早速、中に入ってみましょう。
立派な神社なのですが、それほど大きな敷地ではありません。
どちらか言えば小さい神社と言って良いかも。
場所も山中ではなく市街地中心部からやや離れてますが所謂街中にあります。
おそらく通りがかってもあまり気が付かないかも知れません。
お参りします。
さ。ところが肝心の巨木が見当たりません。
神社の方に聞くと巨木はこの神社の裏にあるという。
それを聞くとパシャさんはいち早く裏へと走っていきました。
裏へは本堂の脇にある小さな路地のような道を抜けていきます。
メンバーと一緒に路地を歩いてると先に行ってたパシャさんが駆け戻ってきて10mくらい先で何やら静止しろと合図を送ってます。
『何や?何や?』と全員立ち止まる。
パシャさん目を真ん丸にして驚いてます。その表情はクマがクマに遭遇したかの如し。
パシャさん 『ヤバイっす!!』
相変わらず主語がないので何のことかサッパリ分からないが聞き返すのも面倒なので黙って静止していると再びパシャさんが叫ぶ。
『デカイっす!!』
どうやら巨木を見て驚いてるようだ。
野犬でもいるのかと思ったよ・・汗
・・でメンバーも全員歩いていくと、そこに巨木が立っていました。
相変わらず写真では伝わらないんだけど、ちょっと回りの木と比べてください。
1本だけ物凄い大きさの木が立っていることが分かります。
実際見ると息を飲むくらいの迫力があり、メンバーもどよめいてます。
近づいていきますが、その大きさに圧倒されます。
パシャさんが驚いて目を真ん丸にするのも無理は無い。これまで20本以上の巨木を見てきたけどインパクトの強さで言えば間違いなくベスト3に入る。
さ。皆様にもう少し大きさを理解して貰う為、例によってパシャさんに木の傍へ行ってもらうようお願いしました。
ドーーーーーーーン。
どうですか?これでこの木の大きさが少し伝わるのではないでしょうか。
因みにパシャさん、木の傍で立ってくれと言ってるだけなのに、何故かいつもこうして右手を木にかざします。
何か反省猿みたいなんだけど大きさは伝わってるから良いでしょう・・。
反対側に回ってみます。
こっちから見ても大迫力。
うーん。伝わらないけど土際の幹周12.8mは伊達じゃない。
樹齢1000年余りと聞いても『そりゃそうだろうなあ』と納得できます。
この写真、よく見ると巨木の左に人間の顔がコチラを向いてます。
まさに心霊写真のようですが安心して下さい。これパシャさんです。
樹高30mは今まで見た楠では一番高い。
楠の木なんだけど『神の木』と表現したほうがシックリくる。
そんな神々しさをこの木は持っています。
あと立ってる場所の意外性もあると思います。
奥に民家が見えてますがホントにこれ街中にある神社の裏にあるのです。
路地を抜けるとこうした林があってそこに存在する巨木は何とも言えないインパクトがあります。
奈良豆比古神社は近鉄奈良駅が最寄り駅になるのかな?
駅からは少し距離があると思いますが機会があれば是非お立ち寄り頂きたい。
自転車乗りは必見だと思います。
尚、この場所、蚊の住処でもあって虫除け持参をオススメします。
私、8箇所ほど刺されました・・・汗
てなわけでリスタートします。
次に訪れたのはコチラ。
巨木から程近くにあります。
歩いたら10分弱くらいあるかな?汗
この辺になるといつもの巨木ライドの如く殆ど自転車乗ってません。
元明天皇奈保山東陵です。
元明天皇は先週ご紹介した天智天皇の皇女にあたります。
藤原京から平城京へ遷都。風土記編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成させ『和銅開珎』の鋳造を行ったことで知られています。
崩御に先立って『朕崩ずるの後、大和国添上郡蔵宝山雍良岑に竈を造り火葬し、他処に改むるなかれ』、
『乃其地は皆常葉の樹を植ゑ即ち刻字乃碑を立てよ』と所謂葬儀の簡素化の詔を出したと伝えられています。
ご興味あったら後は自分で調べてちょ。
さ。ランチです。
ここんとこ巨木、古墳、デカ盛の3点セットとなっております。
今回はコチラ!!
ここもスグ近所にありますよ。
カツ丼の大盛りが凄いんだそうな。
早速ボコッと入店。
店内はこんな感じの雰囲気。クーラーも効いてて気持ち良い・・泣
尚、お客さんでいっぱいでした。
・・・で皆がオーダーしたのは勿論カツ丼。
・・・ですが普通盛。
皆最近デカ盛の凄さを思い知ってか安全対策に取り組んでおります。
それでも凄いボリュームでしたよ。写真じゃ伝わらないけど。
因みに僕はもっと安全にざるそばセット。
んん!これなら問題なく完食出来た。
てなわけで後は帰るだけですが暑いーーーーーーーーーーーー!!泣
けいはんなから東畑の上りをこなして鳥谷池まで。
皆暑いのでいつもの撮影ポイントから離れて日陰でかたまってます。。
ヘロヘロでくろんど池へ。
暑さで心なしか皆口数は少なく、聞こえるのは『暑い』か、うめき声。Kurubiさんの『フォーーー・・・』という悲鳴。
Kurubiさん、クソ寒い時『フォーーーー・・・』と悲鳴あげますがクソ暑い時も『フォーーー・・・・』と悲鳴あげるのね。
最後はトラウマ坂下って帰宅は16時。
メチャクチャ暑かったけど良い巨木が見れて大満足。
また皆で行きましょう!!!
奈良豆比古神社の楠にて。
<今日の記録>
走行距離 : 70.5キロ
累計走行距離 : 29465キロ
巨木を訪ねるライド(第20回)〜本能寺火伏せのイチョウ〜 [巨木を訪ねるライド]
7月30日 日曜日
最近ピッチを上げている巨木シリーズ。
先週に引き続きチームで訪ねます。
尚、巨木を訪ねるライドも今回で第20回を迎えることが出来ました。
これも当ブログを見て頂いてる皆々様。チームメンバー。そして元気に生き続ける巨木のお陰なのです。
ありがとーー!!謝謝ーーー!!
愛してるよーーーー!!
はい。てなわけで7時半関西医大集合。
集結したメンバーはKurubiさんtrekyさんリンクスさんと僕。宜しく!!
まずは淀川CRを北上して嵐山を目指します。
先週も暑かったけど、今週は日差しがキツく、この時間でも既に強烈な暑さ。
僕が前を牽いて皆がペースを合わせてくれますが、とにかく暑さがキツイ。
無心でペダルを回していきます。
・・・で9時前に嵐山に到着。 今回のルートの3分の1はこなした。
この貯金は大きい。あとは休憩しながらゆっくり行こ・・汗
嵐山のコンビ二でマッタリ休憩。
アイスにジュースで体の熱を冷まします。
リスタートしたら仁和寺や金閣寺を経由しながら東進。
ここのちょっとしたアップダウンも暑さで疲労が溜まる・・汗
しかし鴨川沿いを南下すれば目的地まであと少し。
・・・で到着ドーーーーーーン!!!!
ドーーーーーーーーーーン!!!!ドーーーーーーーーーン!!!
本能寺です。
法華宗本門流の大本山。
何と言っても明智光秀が謀反を起こし織田信長を討った本能寺の変で知られてますよね。
当初の本能寺は今とは違う場所にありましたが1591年(天正19年)豊臣秀吉の命で現在の場所へ移転しています。
早速中へ入りましょう。
まずは本堂へお参り。
この本能寺も前は何度も通りかかりましたが中に入るのは初めて。
中々立派なお寺です。そして観光客も沢山いました。
・・で記念すべき第20回の巨木はこの本能寺にありますが、その前にお立ち寄り。
デーーーーーン!!
信長公廟です。
信長が光秀の謀反により無念の自刀をとげたのは1582年(天正10年)6月2日早朝のこと。
信長の三男信考は信長らの遺骨収集の作業をすすめ本能寺の変から一ヵ月後の7月3日、早くも本能寺を父信長の墓所と定めた。
この墓は、この時、信考が建立したもの。
またこの公廟には武将の魂をされる信長所持の太刀が納められてるそうです。
・・・でいよいよ巨木はこの信長公廟のすぐ傍にありました!
ドーーーーーーーーーーーーン!!!
ドーーーーーーーーーン!!!!
ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!
今回の巨木は本能寺火伏せのイチョウです。
このイチョウは本能寺の変の後、この場所に移植されたものと伝えられています。
『天明の大火(1788年)』で市中が猛火に襲われた時、イチョウから水が噴出し、木の下に身を寄せてたいた人々を救ったという言い伝えから『火伏せのイチョウ』として大切に守られているのだそうな。
巨木にはこういった言い伝えが残ってるケースが結構ありますね。
幹周3.9m。樹高18.4m。
本能寺の変の後、当時の本能寺(四条西洞院)から移植されたということは、この木は超歴史的瞬間も目の当たりにしていたのだろうか。。
本能寺は本能寺の変、天明の大火、蛤御門の変等これまで何度も消失したりして再建復興してきました。
その中でもこのイチョウはずっと生き延びてきたんですね。
てなわけで観光客多い中、メンバー少々照れながらキメポーズ記念撮影してリスタート。
イチョウの木は紅葉がキレイだから秋にくるとまた良いかもしれないですね。
さ。そしてこの後はお山を一発上るのが今回のルート。
プロデュースは勿論Kurubiさんです。
将軍塚。
僕はこんなとこあるのは全く知りませんでしたが絶景を拝めることで有名なんだとか。
距離は1.7k。斜度も5%台ということで『それなら何とか・・汗』とドタドタスタート切ります。
尚、他3名はヤル気満々。
先にスタート切りましたが程なくバーーーーン!と僕を置き去りに駆け上がっていきました。
このクソ暑いのになんて元気なんだろう・・・汗
斜度5%台との情報だったけど全然そんな感じがしない。ちょっとキツくない?汗
それに間違いなく距離は1.7k以上ありました。キーーーーーーー!!
終盤、trekyさんのお迎えを受けながら13分くらいで頂上に到着。
因みにtrekyさんは5分で上ってた・・。クルマやね。ホンマに。
さ!そして絶景ポイント!!
ぬおおーーーー!!!
これは万灯呂山を超えたね。
京都市街地が一望出来ます。
写真で伝わらないのが本当に残念だけど知りたきゃ見に行け!!
行けばわかるさ!!
今回は暑くてどうにもならなかったけど、もう少し涼しければちょっと寄って行こうと思えるくらい上りやすいし、また来たいと思います。花背とかはもう絶対行かんからな・・汗
山科方面へ下ってコンビ二休憩。暑い!!
堪忍して!!汗
さ。ここでグッチさんとシノッテルさんの2人が合流。
前日、ナイトレースに参戦してた2人。この日もクソ暑いのに元気に京都までやってきました。
ご苦労さん。
てなわけでメンバー揃ったところで本日のランチ。
今回もボリュームが売りの中華の店らしい。
早速ボコッと入店しました。
オーダーしたのは『定食』。
んん!!!ええボリュームしとる!!汗
美味しゅうございましたがお腹空かさずに来たら完食はキツイかも・・汗
尚、メンバーは当然の如く、ペロッと完食。
Kurubiさんはキレイに玉葱だけを残し完食。
ごちそうさん。
老舗っぽい感じの良い店でしたよ。
さ。リスタートすれば今回もう1つの目的地へ寄って行きます。
車両進入禁止との案内があったので皆クリート削りながら徒歩で向かいます。
巨木ライド、自転車乗ってるより歩いてるほうが多いという伝統は生きてます。
・・・で到着。
山科陵(天智天皇陵)です。
天智天皇(中大兄皇子)といえば大化の改新やな。
この陵は八角墳。古墳時代終末期の古墳。
被葬者の実在性にも天皇陵古墳に比定することにも問題がない、つまり『天智天皇陵』と呼称してもほぼ間違いのない古墳。
このような古墳は非常に稀らしく他には天武・持統合葬陵の野口王墓があるだけなんだそうな。へえへえへえへえ・・・。
てなわけで帰る。
帰りはチーム御用達。いつものルートで。
いつもの休憩ポイントでマッタリ休憩。
レーダー見ると枚方は豪雨。
こりゃいかんということで様子を伺いながら予定してた淀川CRは回避して第二京阪ルートで帰ることにしました。
幸い上手く雨は回避出来たけどアップダウンで汗ダクズブ濡れ。
あははは・・・。
歓喜の雄叫びあげながらご近所のコンビ二まで帰って来た。
他メンバーは結構涼しい顔してる中、何故か僕1人が顔を真っ赤にして汗ダク。
皆、不思議そうに僕の顔を見てるんだけど一言だけ言わせてもらう。
何も意図的に汗を掻いてるのではない。
出るものは出るのよ。
てなわけで今回の巨木ライドも見所沢山。
楽しいライドとなって帰宅は18時。
また行きましょう!!!
本能寺火伏せのイチョウと・・・・
天智天皇陵にて。
<今日の記録>
走行距離 : 102キロ
累計走行距離 : 29394キロ
実に3月13日の金剛山ライド以来の100キロ超え。
もう100キロは走れないのかと思ってたから良かった・・汗