オカンと話す日々 [家族]
昨年12月10日(木)
出張先の中国から帰国。
関空で滞在中ずっと機内モードにしてしてたスマホを解除するとオカンから何度か電話が入ってることに気が付いた。
何や?何や?と電話してみると数日後に入院して手術するとのことだった。
『何でや!?今度は何やねん!?』
聞いて見ると左目の黄班上膜&白内障&糖尿による静脈の詰まりを回避するということらしい。
『日曜日に入院して月曜日に手術するけど全然大したことない!2~3日で退院するからアンタはいちいち来んでええからな!』
・・・と必要に言ってくるので少々アタマに来て『わかった!わかった!絶対に行かへんから心配すな!』と言い放ってしまった。
しかしながら日曜日。
午後から病院に向かうことにした。
実はオカン。数年前に脳梗塞を患ってから程なくして右目の視力を殆ど失ってしまった。
脳梗塞も右目も結局、糖尿が原因ということらしい。
つまり今回、左目の手術をすると一時的に目が見えなくなる。
確認してみると左目が回復するのに3~6ヶ月掛かるという。
『全然アカンがな!』とまだ見えてるうちにオカンに会いに行ったのです。
病院は地元の総合病院から紹介されたらしい市内にある国内でも有数の眼科病院とのこと。
『ほう・・。それならまず右目を治してもらわんかい。』
話を聞くなり僕はそう言ったけど右目についてはこの病院でもどうにもならないらしい。
弟の義父がこの近くに住んでいて評判を聞いたが『名医中の名医』だというから間違いないのだろうけどやっぱり限界があるんだなと気落ちした。
しかし今はまだ生きている左目を何としても救うということだ。
手術はまず直接眼球に麻酔を打ち、それから眼球の三箇所に穴を開け治療を施し、縫合。術後にちゃんと抜糸が待ってるという、想像するだけで卒倒しそうな内容。
親父は『俺やったら見えなくなって良いからそんなんしたないわ。』と言ってけどハッキリ言って同感である。
でもオカンは治る可能性があるならやると決心したようでデーンと構えておりホントにええ根性しとる。
そして12月14日の月曜日午前中に手術。
午後から半休を取ってオカンのもとへ駆けつけると大きなプラステックの眼帯をした痛々しい姿のオカンがいた。
しかしオカンはケロッとしていた。
『全然痛くないで。筋肉注射が一番痛かった。』
『マジか!?筋肉注射くらいならいくらでも代わったるぞ!』
『目の玉三箇所縫うたんやけど縫い目見えるか見てくれへん?』
『見えても見たないわそんなもん!(汗)』
元気そうで少し安心したけど姿は中々痛々しい。。
『あ。何か見えるで。左目見えてる。』
『3ケ月以上掛かる言われてるのにいきなり見えるかい!』
『ホンマやて。何かぼやーっと見えてる気がする。』
『見えへんて!それより今は安静にしとかなアカン!』
ところが2日後に『全然見えなくなった。真っ暗や。』と言い出した。
先生の診察で眼球から出血していることが判った。
糖尿の人には起こりうる症状らしいが先生によるとオカンの場合、想像以上の出血量らしい。
また脳梗塞を患って以来、血がサラサラになる薬を欠かさず飲んでいたのも要因の1つとのことだ。
本来ならオカンが言ってた通り3~4日で退院するらしいのだが、オカンの場合、既に右目が見えてないこともあり入院は長丁場となることになった。
『何か牛乳風呂に潜ってるみたいや。何にも見えん。』
オカンは比較的落ち着いてるものの何しろ目が全く見えてない。
そんなことで僕がオカンの目になることを決めました。
仕事を出来るだけセーブしてガガガガと済ませて午後には病院へ向かう日々が始まりました。
目が見えないとまず出来ないのがスマホを扱えないんですね。当たり前ですけど。
ガラケーならまだ何とかなるかもだけど連絡も出来ないしメールも出来ない。
最初はトイレも当然行けないので付き添いながら。
治療用の目薬も出来ない。
そして御飯が食べられない。
病院食のおかずは何種類かあるのだけど色々と手を出せないので1皿づつ食べていく。
それでも上手く食べられないでオロオロしてるオカンを見てると、あんな元気にしてたのにと結構落ち込む。
しかしここで僕が落ち込んでる場合ではないので食べさせる。
毎日、面会時間ギリギリまで居て帰る日々だけど帰りの電車ではもうオカンのもとへ駆けつけたくなるのだから我ながら筋金入りのマザコンだと思う。
でも毎日オカンと会うことで色んな話も出来て、よく昔話に花を咲かせました。
オカンも目が見えない中、随分気が紛れたそうで喜んでくれました。
・・・となると土日はほぼ丸1日オカンのもとへ。
尚、親父も何度か洗濯しにきたり弟は週末になると家族でやってきて妹は滋賀から2日に1回はやってきた。
何かを出来るわけではないけれど皆傍に居ようとする気持ちは同じだ。
病室のパイプ椅子は長い時間座ってるとケツが痛くてしょうがないけど、それも段々慣れてきた。
オカンが入院してる間、僕は誕生日を迎え、クリスマスを迎えたがオカンと2人で過ごすなんて何時ぶりなんだろう。
でも出血によって視界を失ってるオカンの目は中々改善しなかった。
そして徐々にオカンは見えないストレスを溜めていったみたいだ。
そりゃそうだろう。。1日でも目が見えずに居たらどんな心境になるかは想像するに難しくない。
クリスマスイブの24日。
親父から連絡があって再度、目の血を抜く手術を行うことになったとのこと。
先生もオカンのストレスが限界に達してるとの話だった。
手術する25日は1日休みを貰って朝から駆けつけた。
親父も午前中居て午後から妹と弟もやってきた。
手術は16時半くらいからとなったがオカンは怯えるどころか今の状態から早く抜け出したい様だった。
もう一回目に穴を開けるというのにホントいい根性してる。。
手術中は妹、弟と3人病室で待ち、暫くすると目に大きなガーゼを当てて帰ってきた。
術後2時間は絶対安静のうえ麻酔が効いてて半分寝ているので妹と弟は帰してオカンの目が覚めるのを待ってました。
暫くすると気が付いたようだけどオカンの左目はお岩さんのように腫れ上がってて何とも痛々しかった。
『あ。。何か見える。見えてるで。』
『それ絶対見えんわ。じっとしとき。』
先生がやってきて説明してくれたけど血はキレイに抜き取れたようで、後は再び出血しないよう絶対安静とのこと。
翌日は土曜日だったので朝からオカンのもとへ行くと手術前よりも随分視界はよくなったみたいだ。
『アンタの顔とかはまだ見えないけど姿は見えるで。』
『よし。じゃあちゃんと退院出来るように今は安静にするこっちゃ。』
月曜日の診断で問題なければ退院出来るとのこと。
日曜日も1日オカンと話した。
面会時間終了間際。
『今回はアンタがいつも来てくれてホンマに気が紛れて良かったわ。アンタに会うには病気するのが一番やな(笑)』
我ながら同感。目が見えなくなった途端、毎日現れてもなあ・・と思う。
12月28日。親父が付き添いのもとオカンは退院。
左目がちゃんと見えるにはまだ時間が掛かるけど必ずまた見えてくる。
またオカンに会いに行こうと思う。
12月29日は仕事納め。
昼過ぎには仕事を終え、久々にガツーンと酒飲ませて頂きました。
追記 : 1月7日 抜糸完了
氣が氣じゃない日々でしたね。
読んでいて胸が詰まります。
「6割くらい見える!」と聞いた時の
晴れやかな気持ちがどんなだったか
ここを読むとなおさらわかります。
by あとりえSAKANA (2016-01-11 19:26)
大変でしたね。本当にお疲れさまでした。
実家はすぐ近くなんですが、今年は顔を出さずしまいです。
ちょっと顔を見たくなってきました。
私も糖尿なんで、医者には定期的に通い、現状維持を誓います。
by tsun (2016-01-11 21:32)
あとりえSAKANAさんどうもです。
目が不自由になるのはホントに大変なんだと痛感しました。
僕自身のモチベーションあげるのも何だか大変でした(汗)
しかし今は少しづつよくなってきてるので良かったです。
by hide-life (2016-01-12 22:56)
tsunさんどうもです。
看病するのはちょっと大変でしたが久しぶりに毎日オカンに会うのも良いものだと思いました。
・・・で僕も糖尿です(笑)
節制しないといけないのですがこれが中々。。(汗)
by hide-life (2016-01-12 22:59)
大変でしたね。
でも退院できて良かったです。
by toshi (2016-01-13 20:05)
toshiさんどうもです。
お陰様でオカンは日々回復しているようです。
有り難う御座います。
by hide-life (2016-01-16 15:52)